神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ



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”ペルーのアンデス、と神戸の六甲山”、
そしてその夜景
~神戸大学・”アーチェリー部の卒業生”として

第20代 東昭人

 ”スイスにアルプスがあるように、ペルーにアンデスがあります。日本に富士山があるように、神戸に六甲山があります。その六甲山に育まれし、我らが神戸大学、新応援歌「栄光は常にわれらに」、アイン・ツヴァイ・ドライ・・・
宴会などでやたらやった、我々のエール・・・

 神戸大学は、学部の卒業は、工学部では無く、”アーチェリー部”を卒業したと断言できる(私の選手としての成績はここでは置いといて欲しいが・・・また、その後は”計測工学・吉村研究室”を修了した感あり)。その後、私が就職した会社は、「同期・同僚の結婚式の司会は同期・同僚がやる」ことが通例だった。そうしたことから、私は都合15回は司会ををやった。その経験から実感したことは、「結婚式での友人たちの余興は”さむい”こと」。結構”楽屋オチ”のネタが多く、他の出席者も苦笑い、司会のフォローもしんどい時がある。
 しかしながら、アーチェリー部のある同期の結婚式の余興が素晴らしかった。このエールを、主将の小浜くん(もしかしたら主務の細田くん、だったかな)のリードで、5-6人で円陣を囲んでやった。会場からは万来の拍手だった。正直、カッコよかったな。

 また、神戸大学のキャンパスは、当時も今も評判が良く、それはやはりあの夜景のお陰。当時「大学のキャンパス、ベスト10」なる記事があって、神戸大学はいつも、北海道大学と1位、2位を競いあっていた。特に、工学部からの夜景は、夜景の光りが近く、生活感が感じられ、私は好きだった。練習が終わって、阪急六甲に歩いて帰る時も、わざわざ、工学部を通って、木の中で見え隠れする、近場の夜景を見たものだった。
 一方、成蹊大学とは、夏合宿での定例の試合で、宴会でのひどい乱痴気騒ぎをやっていたが、確か、東京と神戸で、場所を変えての試合もしていた。神戸大学での試合の後、車で成蹊の人たちを阪急六甲か三宮まで送ろう、との案だったが、無理を言って、ボウケースを持ってもらって、約15分の道のりで、工学部からの夜景を見てもらった、はず。その際の成蹊の人たちの感動度合いは非常に大きかった、と記憶している。「やはり日本一!」と喜んでもらった、と思う。

 他には、春合宿の主将・主務決定の打ち合わせで全く決まらなかったこと(二日以上はかかったはず)、最後の最終戦でなんとか一部に残った緊張感、毎週水曜日の練習で岩本くんが持ってくるバイト先アンリシャルパンティエで余った大量ケーキ、岩見くん・日笠くんが二人で住んでいた一軒家での岩見くんの自家製ワインのまずかったこと(今は時効?)。大きな話やどうでもいい話、思い出したら、宝物ばかりで泣けてくる。
 やはり、卒業したのは”アーチェリー部”だと自慢できるなぁ。





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