神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ



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私の洋弓部時代

2代 牧野光雄

 今年の年末には後期高齢者の仲間入りとなる。
 今のところ大病もせず、ゴルフを楽しみ、友と酒を酌み交わし健康に過ごしている。まずは丈夫な体に生んでくれた両親に感謝したい。次に成長期に学び遊び鍛えてくれた時々の友人に感謝したい。特に偶然に導かれて参加した洋弓部の3年間は忘れがたい。
 最初に集まった11人は、ともかく運動部であるためよく走った。腕立て伏せも最後に何回も続けた。昭和38年春、新入生も加わったがレンジがない。畳や的を買う資金もない。だが春の六甲台での園遊会でおにぎり屋をやり、これが当たった。まず西宮の栄養学校の女性数名にお願いしおにぎりを握り、昼過ぎには完売、自動車部の三輪で仕出し屋よりご飯を調達し、また握って完売。女性一人がたぶん100個以上握ったでしょう。定かでないが1個30円くらいで売ったので2万円以上の売り上げで経費は5千円くらい。この利益で夏に鴨子ヶ原レンジが開設できた。(当時授業料は年間9千円、ヤマハの弓は1万円,矢は千円、うどんは3〜50円位)
 鴨子ヶ原は教育学部職員の土地を無償で借り、まず草ぬきと開墾、畳や道具入れの小屋の建設と夏休みに皆で力を合わせて完成、うれしかった。特にT君やH君が頑丈に作ってくれた小屋は秋の台風にもビクともせず、台風一過の翌朝、皆が心配して集まり小屋で喜び合ったことを鮮明に覚えている。
 鴨子ヶ原でもよく走った。バス道の一周も楽しかった。時々外人女性の水着での日光浴姿にワクワクした。技術も金もない生まれたての洋弓部で体力つくりと協調の精神を養えたことは、何事にも代えがたい学生生活であった。
 卒業後淡路福良の合宿に参加でき、豆をつぶして弓が引けず、H君と渦潮の見える岬までのランニングが最後であったが、左右に見える海と渦巻く海も忘れがたい景色である。
 有意義な学生生活を与えてくれた友人、有難うございました。



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