神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ
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私の洋弓部時代
5代 横田廣和
私が洋弓部に入部したのは、高校にはなく目新しいクラブで初めてスタートするということと「アーチェリー」というハイカラな名前に惹かれて入部した記憶があります。大学のクラブに入部したと最初に感じたのは練習以上に今は全く面影もなくなってしまった六甲台の集会所で私らの入部歓迎会を泊まりがけで行ない、先輩たちにやさしく(?)飲まされて酔ってしまった時でした。
第4代の先輩が2名しかいなかったので2年の時から岩永主将を中心として部の運営を行ってきました。私は故大和さんの後を引き継ぎ学連の委員としてクラブの基礎固めをした一員として満足なクラブ活動をしたと思ってます。
その時の学連はまだアーチェリーをクラブで行っている学校が少なく関学・関大・同志社・甲南・大阪工大から委員が出て、春のリーグ戦や秋の個人戦の運営に携わってきました。他校との交際は良い経験になりました。
同じ釜の飯を食べるということで合宿はより親密さと絆を強く結びつけました。夏は今や観光地化された野辺山に始まって蓼科高原・竜王スキー場 春は強風の福良・地元新聞に載った岡山・学連の用で遅れて参加して食中毒を免れた広島など今となれば懐かしい思い出です。
同期に女子3名が入部したのですが、最後まで残った菅野さん(ウズベキスタンで永年に渡って日本語の普及活動をされた)が後輩たちと女子グループの基礎を作ったのも私らの年代のことだと思います。
最後に苦楽を共にした仲間が一昨年亡くなりました。副主将として部員を引っ張った澤井兄と主務として幅広く気を使った中島兄の両氏に哀悼と意をささげて次の人にバトンタッチしたいと思います。
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