神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ



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洋弓部に入学して

第10代 山本 要

 我々10代が入学したのは、1969年(昭和44年)です。大学紛争の影響で東京大学の入試はなく、神戸大学に入学はしたものの入学式もなく、もちろん授業も無い状態でした。本来は工学部に入学する予定でしたが、実際は洋弓部に入学することになりました。今思えば、高校時代から大学ではア-チェリ-をしようと決めていましたので、選択大学もア-チェリ-クラブのある大学でした。4月の初めにレンジに行くと早くも数人入部していました。それから半年間授業が無いことを良いことに、勉強と云う言葉をすっかり脳裏から消滅させ、毎日毎日楽しくクラブ活動に邁進していきました。
 最初に覚えたのが部員に会うと「ちわ~」、そして先輩との別れ際は「失礼します」でした。これは社会に出てから大いに役立ちました。上司・先輩の評価は抜群に良く、きっちり挨拶の出来る人の評価を頂きました。他に学んだ事は、「エ-ル」で大きな声を出せる事、又これも社会では大いに役立ち、会社の行事では大いに目立つ存在になれました。そして、何よりも麻雀の修業を、弓以上に某先輩の自宅で、徹夜で教授頂き、社会では負けることは殆どなく、小遣い稼ぎをさせて頂きました。そして同期と飲み明かした「酒」が我が人生を一番変えた要因かもしれません。酒が縁で会社でも友人を増やし、仕事先の仲間も広がり、現在の私があるような気もします。このように、洋弓部で「挨拶」・「エ-ル」・「麻雀」・「酒」を学びました。本来の工学部機械工学科では何も学んだ記憶はありません。授業も洋弓部のユニホ-ムに先輩譲りのオレンジのジャンバ-姿で、教室の後ろに弓と矢を立てかけて受講していたのを覚えています。その頃の私は、写真のように身長178cm・体重56kgと超スリムでしたが、現在は75kgと50年かけて約20kgの成長を遂げています。
 話は変わりますが、縁とは不思議なもので、次男が高校の教師をしているのですが、野球以外のスポ-ツ経験は無いにも関わらず、洋弓部の顧問をしており、頻繁に練習と試合に駆り出されているようです。我々の時代はマイナ-なスポ-ツでしたが、現在では相当な数の部活となっているようです。
 未だに覚えているのが、神戸大学応援歌「栄光は常にわれらに」です。但し1番しか覚えていませんが、最後に歌って私からの想いは終わりとします。
 起てや起て 我らが選ばれし戦士 母校の高き誉れにかけて ただ目指す勝利の栄冠 振るえいざ振るえ 力の限り輝かん 栄光は常に我らに 神戸 神戸 神戸 我らが神戸大学
 良い応援歌で大好きです。
 下の写真は、細見の私の後ろ姿の写真で、右の写真は我10代(4的~11的)8人全員が写っている昭和45年夏合宿「長野県志賀高原発哺(ほっぽ)」の写真です。



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