神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ
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洋弓部の思い出
第11代 山崎 芳樹
昭和45年の入部です。大学紛争は収束に向かいつつも、一部の活動家による闘争は依然続いており、大学構内はバリケードも張られたままでした。
受験勉強から解放され、田舎で川遊び・魚採りばかりしていた私にとって六甲台から見たクラブの練習風景は新鮮そのもので、アーチェリーはとても格好よく見えて迷うことなく入部を決めました。あれから、何と50年近い月日が流れました。卒業後は、私も含め同期のメンバーの大半は就職で神戸を離れ全国へと分散していきました。その後結婚式とかで個別に会うことはあっても皆で集まることはありませんでした。
そんな中、昨年ようやく神戸で同期会を開くことができました。街で出会っても通り過ぎてしまいかねないぐらい皆さん大変身でした。
近況報告やら、クラブの懐かしい思い出で大いに盛り上がり、今後は「年に一回は、集まろうぜ!」ということになりました。やはり同じ目標を持って共に苦労した仲間とのつながりは年月を経てもあせないものだと改めて強く感じました。私のクラブの思い出として最も心に残っているのが1年生最後の春合宿と2年生の時の夏合宿です。春合宿では高知県大方町の砂浜で思いっきり矢を射て距離を競ったり、練習着のまま春の海に飛び込みじゃれあったり、夏合宿の長野県発哺温泉では民宿のおじさんに連れられ小さなタケノコ採りに出かけ、そのうまかったこと。そんな楽しいなかで忘れられないというか貴重な経験をしました。春の高知合宿の時だったと思います。面談指導とのことで夜ひとりずつ、幹部の部屋に呼ばれました。部屋に入ると昼間の先輩諸氏の和やかな雰囲気はガラリと一変してピリピリムードで、「言葉使いがなっていない。」「チュワの声が小さい。」「練習中はもっと機敏に動け。もたもたするな。」「先輩に慣れなれしくするな。」等々技術的な指導はほとんどなく予想だにしなかったクラブでの態度・取り組み姿勢のようなものに集中砲火を浴びました。面談後はとても落ち込んでしまいその夜はほとんど眠れませんでした。ただ翌日同期にも状況を聞いてみると、皆それなりに手厳しい指摘を受けたようで、内心はホットしました。しかし関西弁丸出しで、体育会の経験もなかったわが身を振り返ってみると先輩諸氏のご指摘はごもっともとその後、納得はしました。
挨拶・言葉使い・礼儀、社会人としてもそれぞれ基本的な大切なことばかりです。企業に入社早々、人事の担当として面接する側になりましたが、あの夜のことはいつも頭にありました。六甲台に通うよりもレンジに通うほうが多かった大学生活でしたが、クラブでの経験・体験は私の社会への第一歩を強く後押ししてくれたものと思います。残念なことは、我々の代で念願の一部復帰を果たせなかったことで、悔しくもあり、今でも大変申し訳なかったと思っております。卒業時に一部復帰を果たしてくれた後輩達には感謝しかありません。今年はオリンピックイヤー、TVの前でしっかりとアーチェリーの日本選手を応援したいと思います。
下の写真(2枚)は自分の同期の高見(旧姓 大前)氏から提供されたものです。自分たちが1年時に9~11代が写っており、(記憶の範囲ですが)夏の合宿での青春の一コマです。
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