神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ



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かくしてわたしは神大洋弓部員になった

第17代 秋吉克己

 私は熊本の生まれで神戸には全くなじみが無かった。高校の同級生はほとんどが地元熊本か東京の大学を目指しており、高校同期で神戸大学に入学したのは私を含めて3人だけだった。最終的に神戸大学を志望したのは受験雑誌「蛍雪時代」の表紙を飾った六甲台の写真に憧れたことも大きかった。ミーハーである。
 無事合格し入学手続きに出向いたが、親類も知人もいない神戸で手続きから下宿探しまで3日で終えねばならず、住まいは学生課の紹介ボードに貼ってあった下宿くらいしかピンとくるものがなかった。他に下見をした花隈の裏あたりの暗い四畳半のアパートは正直怖かった。
 大きな母屋の2階の下宿は、母屋の内階段を上っていく構造なので門限もあるし正直息苦しかったが、そこで生涯付き合うことになる「K君」と出会うのだから人生は面白い。
 周囲に知り合いのいない熊本の田舎者がまともに学生生活をエンジョイしようと思ったら、これはもう部活動、それも体育会系しかないと思い定めていたが、なかなかピンとくるものがない。中高とバスケをやっていたが、落ちこぼれプレーヤーだったのでバスケを続ける自信もなかった。いろいろと考えるうちに、アーチェリーはどやろ、走らんでもええし、と思い始めた。このころから関西弁にも慣れてきたようだ。
 都合良く洋弓部に練習場があるというので覗いてみることにした。まだレンジという言葉も知らなかったが、とにかくそのレンジにいってみると何やら不思議な構造で、建物の屋根から女性の方が一人で矢を射ておられた。
 はぁようあたるもんやなとすっかり関西弁で感心しながら見ていると、その方が矢を取りにビルの屋上から橋を渡って降りてこられた。(当時はそういう表現をするしかない構造であった) そして私に向かってにっこり笑いながら「新入生?ゆっくり見ていってね」とおっしゃった。決まりである♡。そぎゃんたい、女性部員も多かし、練習も一緒たい、と興奮のあまり熊本弁でつぶやきながら、その足で入部手続きに行った。
練習しておられたのはかのM(旧姓)先輩であった。そりゃあたるはずだ。日本を代表してインターラーケンまでいかれた方だ。この下りを下宿でK君に語ると、目指すワンゲル部は親に反対されたとかで、彼も洋弓部に入ると言い出した。長い付合いの始まりである。M先輩本当にありがとうございました。
ここから五毛会館の新歓コンパですき焼きに箸をつけるまではあっという間であった。熊本の田舎者が4年間どっぷりと洋弓と神戸の街につかる生活の始まりである。そして何十年もたって仕事も引退する年齢になっても、一番輝いていたと思える4年間の始まりであった。良い先輩、同期、後輩に恵まれたことを本当に感謝している。

添付の写真は高知県(土佐入野)での春合宿、16~18代の仲間です。
 

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