神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ



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「入部の頃」

7代 山口政勝

 高校3年生の時、ひ弱な数名が、ストレートで合格したら運動部に入ろうという話になった。全員無事合格し、運動部をあきらめた一人を除き、それぞれ自転車部、ワンゲル部、馬術部、洋弓部に入った。

 入学後、未経験でもハンディのなさそうな部を探した。
 馬術部に興味を持ったが、乗馬服の内股がひどく汚れているのを見てやめた。で、弓道部に絞ろうと考えていたとき、教養部の食堂で、洋弓部員が談笑しているのを見かけた。
 そのファッションのかっこよさに加えて、女性部員が一緒に歓談していることに感動。そして何といってもその女性らが実に魅力的だった(魅力的な女性が多い伝統は続いている気がする)。

 運動会ではビリかその次、中学校でも、50m走、幅跳び、ボール投げなどの体力測定で、標準値を越えたのは一つだけ、スポーツは出来ないものと思っていた。
 実際入部して、うさぎ跳び(今やタブーのトレーニングだが、当時は運動部の定番だった)や鶴甲までのランニングでは、ついていくのもやっとだった。もっとも同期の多くが私と似たような状態で、3、4人の運動部経験者らは、飛び抜けて体力があり、当然彼らに大きな差をあけられた。
 夏合宿では、2日程で上体の筋肉はカチカチに凝り固まり、引くことも出来ない。その夜、同期のK君が、祖父母の肩もみで鍛えていると言って上体を揉んでくれ随分楽になった。それから彼のテクニックをまねて、少しはマッサージに自信ができ、何かと役に立っている。

  練習には熱心に通った。スコアもそれなりに出るようになった。そうして新人戦では、なんと2位に入り、前年の中道さんの優勝という名誉には届かないもののわが洋弓部の実力を示すことができたのは、ささやかな誇りではある。
 ただそれ以降、リーグ戦で成績を残せず、ふがいない結果で4年間を終えたことは、今も心残りと言うか悔しい思いが残る。いわく「人間万事、塞翁が馬」。





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