神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ
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私の洋弓部時代
8代 笠川寛
入部し、腕立て腹筋やケーブル下ランニングも何とかこなせるようになった。へこたれても怒鳴られることはなかった。すべてに関し、先輩諸氏が優しくフランクに接してくださるのに驚いた。それに、国立大学であり、創部間もないのに1部リーグに属している。当初持っていた大学の運動部のイメージから嬉しい方向に大きく異なっていた。
練習場も大変個性的であった。六甲ハイツの広い原っぱに立てられた10脚ほどの三脚それぞれにくたびれた畳が取り付けられ、的紙が2枚ずつ貼り付けられた。あっちの的はこっちを向き、こっちの的はあっちを向いていた。的に向かってこげ茶色のユニフォームを着た野性的な大勢のアーチャーが整列していた。まるでアメリカ先住民。ユニフォームにも先住民の羽飾りのマークがあった。掛け声とともに一斉に弓を構える。的紙では物足らず、その後ろの岩を打って矢を犠牲にする人もいた。日ごと楽しさが倍増し、私の所属は工学部機械工学科から完全に洋弓部に移ってしまっていた。
合宿も楽しい思い出の一つだ。夏の信州、夕食では今までの二日分ぐらいの量のコメを軽くたいらげた。また、夜には布団を屋根の上の物干し台に持って上がり、満天の星、またこの星空を切り裂くかのような流星を見ながら寝入ってしまった。今ではあのような星空を見る機会はない。
それ以降は順調で、リーグ戦、関個、インカレ等に出場させてもらった。しかし、少し強い新しい弓に変えたころから成績が振るわず、元に戻すことができなかった。非力な自分の肩はこの少し強い弓をコントロールし得なかったのだろう。この原因に早く気づいて対処できなかったことが今でも悔やまれる。
幹部学年時のリーグ戦終了後、同じ第8代のY君と共に甲南女子大洋弓部のコーチとして呼ばれ、交替で週1回通うこととなった。甲南女子大は神戸大学と同様に六甲山の麓の小高い丘の上にあり、大阪湾を見渡せる美しい所だ。彼女たちはとある事情で1部リーグ最下位に転落していたが、我が部と同様に楽しみながら練習に励んでいた。迎えたリーグ戦では1部2位の地位を自力で奪還し、我々をほっとさせてくれた。
以上、私の半世紀前に関する乏しい記憶の一部です。
私の学生生活の中心であった洋弓部に感謝します。
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