神戸大学体育会洋弓部弓影会
リレーエッセイ



前のエッセイへ                 次のエッセイへ

洋弓部と学生時代

第9代 20回生 室井 敏之

 入学したのは1968年4月です。程なく洋弓部に入部しました。 洋弓部を選んだ理由は、中学・高校と部活動を文化部で過ごした私が、皆と同じスタートラインから競技を始められることと、一部リーグに属していて強いチームと競えることでした。 理学部前のレンジも、大きなヒマラヤ杉や?があって魅力的でした。

 新入部員は50名を超える大人数でした。ところが良くしたもので、ランニングや トレーニングが堪えたのか、次第に減り卒業時には残念ながら同期は男子11名女子2名 計13名になっていました。

 入学した年は勉学・部活動・友との交遊とバランスよく充実した学生生活を過ごしていましたが、当時は全国的に大学紛争が真っ盛りで、神戸大学でも私達が1年生の12月から2年生の8月までストに突入し授業はなくなってしまいました。 これをきっかけに、ストが終わってからも私の学生生活から勉学(経営学部)は後回しに なってしまい、部活動と友との交遊に明け暮れる日々になってしまったのは少なからず悔やむところです。 自治会の集会でストが決議された瞬間の呆然とした気持は今でも覚えています。 「こんなに重要な事が、こんなにいい加減な進め方で実行に移されていいものか。」と。

 私達20回生は、当時の日本記録を出した赤澤実さんを始め多くがレベルの高いアーチャーに成長し、私は主将に任じていただきながら成績には貢献できませんでしたが、3年生時・4年生時のリーグ戦において2年連続で当時全盛の桃山学院大に次いで1部リーグの 2位という好成績を収めることができました。 しかしながら戦績は一つの過程にすぎません。 私達が部活動を通して得た最も貴重なものは他の代の皆さん方と同様に、勿論同期の素晴らしい仲間達と良き先輩・後輩です。 日々の練習・ランニング・トレーニング・合宿・コンパ等、すべてが良い思い出です。 試合や連盟等を通じての他大学との交流、親和女子大でのコーチも貴重な経験でした。 洋弓部に所属したからこそ、充実した思い出深い4年間を過ごすことができました。

 同期13名は、中本主務が早世され近年馬詰さん・下村さんも逝去されて今では10名 になってしまいました。 赤澤実さんと恵子さん(旧姓高見さん)が結婚されたのは嬉しい出来事でした。 今も、中々全員揃ってとは行きませんが親交を続けることができ、心から嬉しく思っています。 松任谷由実の「ノーサイド」という曲の中に「同じゼッケン 誰かがつけて またつぎのシーズンをかけてゆく・・・・・・」という歌詞があります。 色んな世代が、それぞれの部活動を通じて様々な人生を創って行く、洋弓部がそんな器のひとつであり続けられることを願っています。





前のエッセイへ                 次のエッセイへ