神戸大学体育会洋弓部の歴史



ここでは多くのOB・OGの皆様から頂いた当時の記憶をもとに、
神戸大学洋弓部の創部からの歴史を掲載しています。
(第八弾として、1985年夏から1988年春までを掲載しました。
それ以降は今後、順次掲載していく予定ですので、ご期待下さい。)
※文中の写真は、クリックして拡大できます。


創部(1961年) / 1962年 / 1963年 / 1964年 / 1965年
1966年 / 1967年 / 1968年 / 1969年 / 1970年 / 1971年
1972年 / 1973年 / 1974年 / 1975年 / 1976年 / 1977年
1978年 / 1979年 / 1980年 / 1981年 / 1982年 / 1983年  
1984年 / 1985年 / 1986年 / 1987年 / 1988年




1961年(昭和36年)

  秋頃  同好の士が集まり洋弓の練習を開始。発起人は初代部長の故勝部嘉樹氏。
      当時は自前レンジがなく、一王山レンジで練習を始める。






1962年(昭和37年)

  春頃  御影教養課程の学舎の校庭に「御影レンジ」を設置。
      レンジ開設に伴い、大学に「洋弓同好会」として届け出。
      翌年春まで1年間は当レンジで練習。
      当時の部員は11人
      (故勝部、牧野、故百村、西内、故井上、田所、萩野、越湖、瓦谷、山中、故大和の各氏)






1963年(昭和38年)

  4月  教養課程が御影から鶴甲校舎へ新築移転されたため「御影レンジ」は撤去。

  夏頃  やむなく一王山レンジで練習していたが、御影鴨子ヶ原の私有地を借用することができ、部
      員の手で山を開墾・造成工事を行い「鴨子ヶ原レンジ」を作成。
      30m、50mが可能となったが、後方の「日の神神殿」に射ち込むことが多く危険を伴っ
      た。
      「鴨子ヶ原レンジ」は翌年秋まで1年余りの使用であった。

   春  同好会の資金稼ぎに、六甲台園遊会でおにぎりを販売。

  春頃  「浜松ヤマハレンジ」で合宿。
      当時持っていた弓は竹製であったが、ヤマハからグラスファイバーの弓を借りて練習した。
      矢は竹製が主であったが、グラスファイバーも見かけるようになった。






1964年(昭和39年)

  4月  15人の新入部員により部員が一気に倍増した。

   春  関西学生アーチェリー連盟に加盟。それに伴い神戸大学体育会に加入。
      顧問に法学部故河本一郎先生に就任頂く。
      最初の連盟担当は故大和正勝氏。

      六甲台園遊会時に食堂でダンスパーティーを開催。2~3万円の収益。

      ほぼ全員が弓具を購入。弓はグラスファイバー製ヤマハスタンダード12000円、
      矢はアルミ24SRT 1000円/本、高額な買物であった。
      クイバー、クリッカー、スタビライザー等付属品はすべて自前で作った。

  夏頃  「鴨子ヶ原レンジ」の返還を求められため、レンジを鶴甲校舎の体育館の横に移転し
      「鶴甲レンジ」とした。                         <写真1>
      当初30mしか射てなかったが、体育館裏も使用し50mを射てるようにした。

  8月  信州大学・野辺山校舎の一部を借りて夏合宿。               <写真2>

  9月  「新人戦」 堀耕平入賞

       
            <写真1>              <写真2>






1965年(昭和40年)

  3月  淡路島「福良」にて春合宿 小学校の校庭を借りて練習。          <写真3>

  4月  リーグ戦 2勝1敗で 2部2位                       <写真4>

  6月  大学祭で“豚まん“販売
      東西対抗選考会、堀・岩永・菅野・山崎が出場
      東西対抗戦 菅野怜子3位入賞

  8月  霧ヶ峰高原で夏合宿                           <写真5>

  9月  インカレ(於長居競技場)                        <写真6>

 10月  新人戦 中道憲昭優勝、大谷明2位、(女子の部)芝野晴子2位入賞
      台風により「鶴甲レンジ」が土砂で埋まり使用不可となる。
      新たな場所を求め、六甲台グラウンド、教養の教室の横にレンジ設置を試みるが
      危険とのことで、数日で撤去。
      安全な場所として 理学部裏の出光の土地を借用しレンジを設置するが、
      同地は崖下からの吹き上げる風で畳の転倒、矢の損傷等被害続出。

 11月  安住の地を求め「六甲ハイツ」にレンジ設置。              <写真7~9>

       
              <写真3>              <写真4>

       
            <写真5>              <写真6>

       
            <写真7>              <写真8>

      
<写真9>






1966年(昭和41年)

  3月  岡山東山カントリーで春合宿。                     <写真10>

  4月  兵庫県アーチェリー連盟結成競射会(於神大教養部グラウンド)      <写真11>
      堀耕平3位入賞                            
      リーグ戦 3勝0敗で 1部昇格

  5月  大学祭で与太郎蕎麦を出店

  6月  資金稼ぎのため、神戸サンケイホールにてダンスパーティー開催

  8月  長野県竜王スキー場田川山荘で夏合宿。松代地震で怯える。        <写真12>
      日本・フィリピン親善アーチェリー大会に大谷明出場(於東京オリンピック公園)

  9月  新人戦 山口政勝2位入賞
      関西選手権(於長居競技場) 故澤井章優勝
      インカレ                               <写真13>

 10月  三商大の一環として、一橋大学と初の定期戦(於一橋大学) 勝利
      成蹊大学との初の定期戦(於成蹊大学) 勝利

       
            <写真10>             <写真11>

       
            <写真12>             <写真13>






1967年(昭和42年)

  3月  広島県府中市で春合宿。食中毒で練習ならず。              <写真14>

  4月  リーグ戦 3勝2敗 で1部3位  岩永最高得点者(603点)として受賞

  5月  大学祭の模擬店で、てんぷらそばを出店

  6月  東西対抗戦  岩永出場
      (写真は大学祭当日、模擬店近くで撮影したもの)            <写真15>

  8月  長野県竜王スキー場 で夏合宿                   <写真16~18>

  9月  新人戦 男子:故松本良堯(よしたか)が優勝
          女子:廣石美恵(旧姓;福井)が優勝
      関西選手権(長居競技場)                       <写真19>

       
               <写真14>             <写真15>

       
            <写真16>             <写真17>

       
            <写真18>             <写真19>






1968年(昭和43年)

  初春  冬のオフシーズンを終え、春のシーズンがサーキットトレーニングにより幕を開ける。
      当時のランニングコースは、洋弓部レンジと「六甲ケーブル下(土橋駅)」との往復か、
      「布引」との往復のどちらかであった。

  春頃  一王山レンジでの写真
      (写真の左奥、小さな家屋が道永さんのアーチェリーショップでしたが、その中での道永さ
       ん夫妻との談笑や、矢の補修等を行ったことが懐かしく思い出されます。)
      

  3月  高知県安芸市(当時は阪神タイガースの春合宿の常設地であったので、タイガースタウンと
      呼ばれていた)の小松旅館で春合宿
       

  4月  リーグ戦 1勝4敗で1部5位 女子不参加

  5月  大学祭で模擬店の出店はせず。

  8月  昨年と同じく長野県竜王スキー場(田川山荘)で夏合宿
      
       

  夏頃  旧六甲ハイツの洋弓部レンジでの写真
      

  9月  関西学生選手権で那須卓司が4位入賞(写真はその表彰式:表彰台の右横が那須卓司)
      

秋の定期戦 三商大学・成蹊大学戦を東京で戦う。






1969年(昭和44年)

大学紛争  全国の大学紛争の波が神戸大学にも及び、1968年12月頃から、当時六甲台にあった大学本
      部をはじめ医学部を除く全学部で学舎の封鎖などが行われた。そのため卒業式・入学式の中
      止等、1969年8月に機動隊導入によって全学部の封鎖が解除されるまで大学はまともに授業
      が行えない状態が続いた。
      その中にあって、旧六甲ハイツにあった洋弓部レンジは封鎖等学生運動の拠点になることは
      なかったが、近くの理学部での封鎖・紛争の為レンジで練習できない日々もあり、又他校と
      の対抗戦の日程が組めない、春合宿の中止など大学紛争は我々洋弓部にも少なからず影響を
      与えていた。

  3月  大学紛争の為、春合宿は中止となった。

  4月  リーグ戦  男子:1勝4敗で最下位。入れ替え戦で勝利の結果一部残留となる。
            女子:0勝1敗で2部2位

リーグ戦  親和女子大学から当部へコーチ就任要請があり、4年生二人が指導に赴く。
 終了後
      第7代のメンバーのみで、左胸にアーチェリーのワッペンを貼り付けた、お揃いのユニホー
      ムジャンパーを新調する。(そのジャンパーの写真)
      

春~初夏  幹部交代後、3年生(第8代)で小豆島への旅へ(その時の写真)
      

  8月  長野県の湯田中温泉にある学校のグラウンドで夏合宿。(宿舎は旅館)
      (中央大学付属高校サッカー部と同居で窮屈な思いも!)
       






1970年(昭和45年)

  3月  徳島市・小松島・大神子海岸近くの「青年の家」で春合宿。
       
春合宿(徳島市小松島大神子青年の家)
       
                練習風景             近くの海岸にて

  4月  リーグ戦  男子4勝1敗で1部2位
            女子1勝0敗で2部1位

リーグ戦  前年の親和女子大に加えて、甲南女子大へも4年二人が指導に赴く。
 終了後

  8月  長野県志賀高原発哺(ほっぽ)で夏合宿。
       
       
練習休みの日
  9月  第12回全日本アーチェリー選手権大会(後に、全日本ターゲットアーチェリー選手権大会
      に改称)において、赤沢実氏(第9代)が1234点の日本新記録で優勝。
      関西学連から日本初の1200点アーヂャーの輩出となる。
      (赤沢さんの日本記録については、「赤沢、世界記録に迫る。」と新聞で報道さると共に
       「関西スポーツ賞」も受賞。)
      ※上記リーグ戦・赤沢氏の記事は、2016年55周年レセプション開催時に配布された小冊子
       『神戸大学体育会洋弓部創立55周年記念レセプション』の中の「洋弓部 55周年の歩
       み」より転記したもの。






1971年(昭和46年)

  3月  高知県中村市(現、四万十市)で春合宿
       
         春合宿 レンジ後ろの土手で        足摺岬への途中

       
           20回生(第9代)      21回生(第10代)・22回生(第11代)

  4月  リーグ戦  男子4勝1敗で1部2位
            女子0勝4敗で1部5位
      (リーグ戦最終戦で、桃大と全勝同士で対戦。
       結果は当時の団体戦日本新記録(4731点)を出した桃大に敗れるも、我部も当時の団体
       戦のクラブ新(4601点)を出し健闘。)

4~5月  第12代、洋弓部へ入部
      <入部理由>
      ・学生生活で何かのクラブに入りたかった。
      ・体育会はきついからイヤ、洋弓部なら楽そう。
      ・高校では洋弓部は少なく、皆初心者からのスタート。
      ・何となくかっこよさそう、女性にもてる?

  5月  リーグ戦最終戦(対:桃大)を応援、(国立大なのに)1部2位の成績と日本記録保持者が
      おられることにビックリ!
      ・楽そうなクラブと思ったのに? 4年生皆怖そう。
      ・新体制で、新入生歓迎コンパを五毛天神(国玉会館)で実施
       酔いつぶれて外の木陰に担ぎ出され寝かされる者続出
      ・元永さん(10代)が大学体育会幹事長に就任、体育会創立10年を記念して‘71年3月に会
       誌「六甲」を発行し、以降毎年発行                   【資料➀】

5~7月  理学部横の広場に洋弓部レンジがあり、ヒマラヤ杉の大木の根元に畳保管場、レンジへの畳
      の運搬・据付が1年生の最初の仕事、そしてヒマラヤ杉の周辺で毎日素引きの繰返し、暫く
      して近射に昇格は嬉しかったが、いつになれば皆と一緒に正規の距離(30m)を射てるの
      か。
      ・昼時間に学食の食堂へ、その後に授業かクラブ、または六甲道へ下りてパチンコか麻雀が
       規則正しい生活(?)になる者あり。

  7月  夏合宿----長野県発哺温泉の岩菅旅館
       練習以外に、夜の肝試し、発声練習等

  9月  クラブのあり方(体育会か同好会他)を巡って、幹部学年が真剣な討議
      (我々はヘエーと話を聞きながらも、新鮮な驚きと我々もクラブの一員なんだと喜びを感じ
       る)
      ----学生なので勉学第一、体育会ではあるが自主性尊重等の方向性確認

 10月  東京遠征(三商大戦、成蹊戦)

 11月  新人戦(於:大阪府大)
       女子の部(12代)松本和恵さん 2位、山本晶子さん 3位






1972年(昭和47年)

1~3月  学生ストで大学封鎖、授業・試験中止、試験に変わりレポート提出
      学生と機動隊が教養部(現 国際文化学研究科)内でぶつかり、ノンポリの自分も右往左往
      (入学時から、簡体文字の立看板があり教養部の一部教室も封鎖されていた)

  2月  春合宿----高知県大方町<プロ野球 南海ホークス(現 ソフトバンク)のキャンプ地>

  4月  リーグ戦 男子 0勝5敗で1部6位、入替戦敗退し2部に降格
           女子 3勝2敗で1部3位
       幹部の方が号泣され、この悔しさを経験した今の新2年が幹部の時に1部に戻らないと2部
       の上位で満足してしまう。何が何でもこの悔しさをバネに1部復帰を、と言われた。

  6月  大学体育会のボートレース大会(於:淀川)にトップアーチャー○○号の名前で参加
      (以降、毎年連続)

  7月  夏合宿----長野県白馬
      ・六甲祭で屋台を出す。
      

 10月  全日本学生アーチェリー選手権大会(於:長居競技場)
      (12代)篠浦任さん出場

 11月  新人戦女子の部(13代)千東いね子さん 入賞

       
旧レンジ(六甲ハイツ)にて






1973年(昭和48年)

  2月  春合宿----和歌山県すさみ町

  4月  リーグ戦 男子 2勝3敗で2部4位
           女子 3勝2敗で1部3位
      新入部員勧誘
       1部復帰するには先ず底辺を拡大し高得点者を要請する方針の下、教養部と学生会館の間
       の陸橋部分で女子部員が中心になり、全員がユニフォーム姿で弓を持ち積極的に勧誘、理
       系でも一人で練習できますともPR。⇒おかげで大量入部。

  7月  夏合宿----長野県発哺温泉の岩菅旅館
       部員約70名(1年生30数名)参加、会計が合宿費用100万円超の現金を持ってウハウハ。
       (当時、我々は銀行振込の認識なし)
      ・合宿に来られた先輩から、「こんなに多人数でクラブができるのか。もっと練習をきつく
       して適正な人数に絞らねば」と言われ、小部屋で侃侃諤諤の議論。
      ・恒例行事として、幹部学年に関わらず夜間安眠時に後輩から刺激薬品でイタズラされる者
       あり。

  9月  東京遠征(対:成蹊戦)
       当時は不明だったが、安部晋三氏が成蹊大の1年にいて我々の誰かの観的を担当
       (我々は関東のNo.1美人アーチャーが誰の観的をするのかに関心)

   秋  近大との練習試合(於:神大レンジ)
       当時の近大は2部常連校で我々の方が上だと思っていたが、試合はボロボロに負け。試合
       後に近大メンバーが部旗を掲げ隊列を組んで神大レンジから阪急六甲駅まで勝利の部歌を
       高らかに歌いながら帰る。
       ⇒強烈な悔しさ、試合は強い者が勝つことを痛感、忘れられない思い出。

 11月  新人戦(於:関西大)
      (14代)松下和美さん 2位
      ・大学体育会の駅伝大会に参加

 秋頃~  レンジ(理学部横)の移転話が出てきて、学生課・理学部事務と打合せ。
      同期の部員に新レンジのラフ図面の作成を依頼。
      教養部の現レンジも候補(屋根の上から打つ?無理やろ!)の一つに上がる。
      <現在のレンジは、1976年春先に完成し14代幹部の使用は限定的で、本格的には15代幹部
      から使用した(記憶による)>                      【資料②】

      
旧レンジ(六甲ハイツ)での練習風景
       
練習試合風景(対戦校・時期等の詳細は不明)






1974年(昭和49年)

  2月  春合宿高知県大方町で合宿
       打上げ時に何名も(女性も含む)海に放り込まれ、まだ寒い中旅館の風呂への道を一目散
      ・学連未加盟校も含め強い学校との練習試合実施、一斉練習時のスコア上位者でかつ同レベ
       ルなら高得点を出す可能性のある下級生を選手に出す原則を幹部方針とする。

  4月  リーグ戦 男子 5勝0敗で2部1位、入替戦勝利し1部に昇格
           女子 1勝4敗で1部5位
      (12代)当田さんがリーグ戦平均点トップ(唯一の600点超)の好成績    【資料③】
      ・平均点ではトップではない、20点余りの僅差の勝利が多く運にも恵まれた。
       相手の1~2人が大きなミスをしたのに、当方は最低限のミスに留めた。
       入替戦では雨が降っていたが応援者も途中から傘を放り投げて声をからし、最後は泣き
       じゃくる者も出る中で一丸になれた。勝利の時の胴上げは忘れられない。

  5月  リーグ戦終了後(5/中旬~)に4年生の多くは会社訪問開始、売手市場の時期に恵まれ(こ
      の成績で卒業はできるのかと厳しい質問は有ったが)、ほぼ7/1内定
      ・幹部退任後、2名が親和女子大の指導に数か月間行く。
       (何故あいつが----、一昨年までは親和以外に甲南女子もあったのに----)
      ・川上杯アーチェリー大会で、(9代)赤沢実さんが優勝

   夏  10代・11代幹部がこれまで企画・取りまとめしていたものを受け、10周年記念行事として
      の小冊子「神戸大学洋弓部10周年」(表紙にユニフォーム同様の羽根マーク)を発行する。
      以降節目ごとの周年行事を行うことも申し送りする。            【資料④】

 10月  全日本学生アーチェリー個人選手権(名古屋:瑞穂競技場)
       男子 当田さんが4位
       女子 松下さんが3位

 11月  新人戦
       女子の部(15代)石田悦子さん3位、田辺順子さん・小谷真理子さんが入賞     
    
      全日本アーチェリー選手権(宮崎)     
       男子 当田義男さん(12代 4回生)     
       女子 松下和美さん(14代 2回生)(現 柏崎)出場     
           
試合後の宮崎観光での写真
男性は12代の当田義男さん 右から2番目 松下和美さん
      






1975年(昭和50年)

  2月  兵庫県アーチェリー大会を開催(於:神戸大学六甲台グラウンド)
       道永義利さん(1976年モントリオール銀メダリスト道永宏氏の父)を中心に、兵庫県の
       社会人・学生の交流とレベルアップを狙いとして開催を企画し、当部関係者が大会委員長
       等の世話役を担当
      ・春合宿高知県大方町で合宿

  3月  卒業式が六甲台講堂で行われる。(‘71年の入学式は大学紛争の影響があり左記場所を使え
      ず)
    
  6月  第28回世界アーチェリー選手権大会(スイス)               【資料⑤】
       女子 松下和美さん(現 柏崎)出場     
        試合結果 50位
            
日本からは4人出場
写真左から茂野千秋さん(関大)峰登士子さん(関学)
福田美枝さん(社会人)松下和美さん

            
左:スイスの試合会場での練習風景
右:宿泊先のインターラーケンのボー・リバージュホテル
    

  8月  関西学生アーチェリー選手権(大阪:服部競技場)     
       女子 松下和美さん     
        総合1位【合計:1199点】     
         70m:273点 60m:306点 50m:287点 30m:333点     
         ※60m:306点は当時の日本新記録     
         ※3位は関西学院の原かよ子さん(芸名:相原ともこ)が入賞。     
         ※男子1位は同志社大学の道永宏さん。     
         (1976年のモントリオールオリンピックに出場し銀メダル獲得)     
    
      夏合宿(長野県下高井郡発哺)  総勢60名強     
            
            
       
    
   秋  男子 旧三商大戦 3位     
             
      男子 成蹊大学との定期戦実施     
         安部晋三さんがマネージャーとして参加。     
    
   冬  有志によるスキー旅行(於:野沢)     
      






1976年(昭和51年)
    
      新しいレンジ(現レンジ)にて練習開始(14・15代)     
      
    
   春  春合宿 (於:高地県大方:現在は黒潮町)
            
       
      高知の春合宿では、皿鉢料理をごちそうになりました。が、遅くまで騒ぎすぎて宿のご主人
      に怒鳴られました。冷たい春風の中、砂浜のランニングがこたえました。じっとして矢を打
      つだけだと思って入部したのに、予想が外れショックでした。(15代談)

      リーグ戦 成績
       <男子> 二部 4勝1敗(2位)
          × 神大 4225 - 4668 立命 ○
          ○ 神大 4460 - 4336 関大 ×
          ○ 神大 4545 - 4318 大工大 ×
          ○ 神大 4549 - 4430 追大 ×
          ○ 神大 4542 - 4417 大府大 ×
       <女子> 一部 3勝2敗(3位)
          × 神大 2723 - 2774 同大 ○
          ○ 神大 2738 - 2546 関学 ×
          × 神大 2392 - 2428 甲女 ○
          ○ 神大 2615 - 2529 帝大 ×
          ○ 神大 2621 - 2466 関大 ×

  7月  夏合宿(長野県白馬村:みそらの館)
       2020年現在、みそらの館は変わらず営業しているようです。90mまで打てるレンジが
       近くにあり、関西学生アーチェリー個人戦決勝を目指して70/90mを練習しておく必要
       からも、みそらの館は好都合でした。17代部員はずっとみそらの館で夏合宿を行って
       いました。
       レンジで中日の夜に行われるのが名物「発声練習」でした。大声の挨拶と応援歌の斉唱を
       2回生が1回生に「指導」する、という行事ですが、応援歌を覚えなければいけない
       ため、中日の休みも歌詞カードを眺めながら過ごしたことを覚えています。

   夏  夏合宿中日の休日
       
      あれから43年。中年太りも過ぎ、50メートルでは的もまともに見えなくなりました。「あぶ
      み」「かい」「ちょんがけ」なんて言葉もありましたね。合宿先のテレビではロッキード事
      件で首相逮捕の速報を見ました。誰かが「オベントバコの歌」を歌ってましたね(「これく
      らいの・・・」という歌)。また、同期の仲間が当時の人気テレビ番組「ラブアタック」で
      恥をさらし、当時1年生の女子部員が笑顔を振りまきました。

 10月  15周年記念パーティー
      15代が中心になり、初めての洋弓部15周年記念パーティーを阪急六甲駅近くの六甲学生セン
      ターで開催することになり、みんなで協力して準備を進めました。80名を超える歴代の諸先
      輩の皆様に喜んでいただき、大変嬉しかったです。部員の結束が一層強くなったと感じまし
      た。

      この7月に行われたモントリオールオリンピックで当時同志社大学生の道永宏さんが
      銀メダルを獲得され、大きな話題となりました。みんなでアーチェリーショップミチナガ
      に行ってメダルを見せてもらっていました。  






1977年(昭和52年)

  3月  春合宿(高知県大方-現在は黒潮町 うすき旅館)
      2020年現在は広大な公園として整備されていますが、当時は土の野球場、グラウンド
      しかないさみしいところでした。南海ホークスの春キャンプ地で、我々はキャンプが
      終わった後に乗り込む形で、先発隊数名が1日かけてグラウンドに的を設置していました。
      合宿打ち上げは目の前の入野海岸に男子部員全員が飛び込むのが恒例でした。
      太平洋に眼鏡を流されたN先輩にはまことにお気の毒でした。
     
   春  リーグ戦 成績
       <男子> 二部 2勝3敗(3位)
          × 神大 4627 - 4771 大阪学院大 ○
          × 神大 4350 - 4440 追大 ○
          〇 神大 4637 - 4526 阪南大 ×
          〇 神大 4579 - 4307 大工大 ×
          × 神大 4572 - 4586 関大 〇
       <女子> 一部 0勝5敗(6位)
          × 神大 2671 - 2730 同大 ○
          × 神大 2743 - 2762 関学 〇
          × 神大 2540 - 2625 帝大 ○
          × 神大 2540 - 2595 甲女 ○
          × 神大 2620 - 2634 梅女 ○
       【入替戦】
          × 神大 2671 - 2730 関外大 ○  二部リーグへ降格 

      卒業後の集まり 1980年(昭和55年)
      第15代は男女の仲が良く、コンパをみんなでよくしました。仲が良すぎて勝利へのこだわり
      が少なく、成績はいまいちでした。
       

  7月  夏合宿(長野県白馬村 みそらの館)
      恒例の「発声練習」を指導する2回生は、1回生がどんなに大声を張り上げても
      「声が小さい」と怒鳴り返すのがお約束で、真っ暗なレンジで約1時間繰り広げ
      られる通過儀礼でした。理不尽な行事ではありましたが、これで1回生と2回生の
      距離が一気に縮むのもまた事実でした。






1978年(昭和53年)

  3月  春合宿(高知県大方-現在は黒潮町 うすき旅館)
      大方で行う春合宿の宿はいつも「うすき旅館」でした。
      2020年現在建物はもう残っていません。
      合宿最終日は毎回豪華な皿鉢料理が振る舞われるのですが、その分平素は質素で、
      昼食が豆ご飯と竹輪の吸い物だけという日があり「けちった分を最終日にまわしとる
      だけや」と非難の声が起ったことも。
      神戸から土佐入野という小さな駅にたどり着くまでが遠く、岡山経由の新幹線や
      フェリーなど色々な手段を使いましたが。我々が幹部の時には、何と楽をしたいと、
      伊丹から高知空港まで飛行機を使うといった手も使いました。
      
      
      1978年春合宿
      
      リーグ戦戦績(1978年春)
       <男子> 2部2位 (3勝2敗)
          × 神大 4525 - 4569 神戸学院大学 
          〇 神大 4703 - 4643 追手門学院大学 
          × 神大 4574 - 4584 関西大学 
          〇 神大 4595 - 4552 阪南大学 
          〇 神大 4592 - 4389 京都産業大学 
        
       <女子> 2部2位 (4勝1敗)
          × 神大 2506 - 2569 追手門大学 
          〇 神大 2489 - 2468 甲南大学 
          〇 神大 2605 - 2531 関西大学 
          〇 神大 2492 - 2450 神戸山手女子短期大学 
          〇 神大 2509 - 2467 親和女子大学 
      
  7月  夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
      3回生幹部として初めての合宿でも気になるのはやはり「発声練習」です。
      2回生がいかに1回生を「指導」しているか、脇の国道沿いで虫に食われながら
      こっそりと確認をしていました。
      1回生の実力が急速に伸びるのも夏合宿の頃です。短期間に射数をこなすことで点数が
      出るようになり、連日「自己新」の嵐です。その分指の負担も大きく、
      1回生は大体豆を作ります。豆の大きさの頃合いを見て、針にヨードチンキをつけた
      糸を通し、豆の水を抜きながら糸を通して消毒するのも幹部、特に女子幹部の
      得意技でした。
      
       
      1978年夏合宿

      この年、ロスオリンピック銅メダル、アテネオリンピック銀メダルの山本博さんが
      横浜高校に入学されました。「山本とかいう高校生が関東の大学を荒らしまわっている」
      と、遠く神戸までうわさが伝わってきたものでした。






1979年(昭和54年)

  3月  春合宿(高知県大方-現在は黒潮町 うすき旅館)
      神戸から土佐入野という小さな駅にたどり着くまでが遠く、岡山経由の新幹線や
      フェリーなど色々な手段を使いましたが。我々が幹部の時には、楽をしたいと、
      伊丹から高知空港まで飛行機を使うといった手も使いました。本当にあんな遠いところまで
      よく行ったものだと思います。
      ただしかし、あまりに遠く、合宿唯一の楽しみである食事もさほどではないことから、
      うすき旅館での春合宿は80年春が最後となりました。
      
       
      1979年春合宿           1980年春合宿
      
      リーグ戦戦績(1979年春)
       <男子> 2部3位 (3勝2敗)
          × 神大 4560 - 4583 追手門学院大学
          × 神大 4458 - 4507 大阪府立大学 
          〇 神大 4556 - 4492 関西大学 
          〇 神大 4774 - 4617 立命館大学 
          〇 神大 4354 - 4231 阪南大学
         
      順位は3位でしたが、何かと因縁のある立命戦で4774点という我々にしてみれば
      驚異的なスコアで勝利することができました。
      しかしながら、4300台も出る、相手に合わせるような試合しかできなかったのも
      3位という結果に終わった要因でした。
        
       <女子> 2部2位 (4勝1敗)
          × 神大 2468 - 2860 甲南女子大学 
          〇 神大 2751 - 2645 桃山学院大学 
          〇 神大 2678 - 2287 甲南大学 
          〇 神大 2490 - 2204 関西大学 
          〇 神大 2611 - 1924 神戸山手女子短期大学   
      
      優勝した甲南女子大に破れはしたものの、安定して勝利を積み重ねたリーグ戦でした。
      本当に一体感のあるチームだったと思います。
       
  7月  夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
      
      自己新が毎日数多く生まれる夏合宿ですが、
      当時「タタミ」という自己新祝いがはやっていました。
      自己新を出した部員を畳に座らせ、10人くらいで
      畳ごと空高く放り上げるという荒っぽいものでした。
      そんな中、自己新を出した18代の某男子部員が
      着地を失敗して、手首を骨折してしまう
      事故が起きてしまいました。
      車に乗せて町の病院までつれていきましたが、
      彼は今どうしているのでしょうか。 
      
      
      教養部レンジ
      我々17代(1976年(S51)入学)は初めから教養部体育館脇にレンジがありました。
      広さが30m強しかないため、50mは隣接の音楽棟の屋上から射つようになっていましたが、
      地面から若干高く、厳密には打ち下ろしの格好でした。
      また、的の後ろは石垣なので、的を大きく外せば石垣に当たって矢が曲がるという
      緊張感のあるレンジでした。
      元町エスターさんの施工で立派な的台ができ、とても高価だった矢の損傷率も劇的に
      下がったものでした。また、毎日畳を運ばずに済むというのも実にラクチンでした。
      後に30m地点のかさ上げもされて、50m-30m-的が同レベルで揃う状態になった
      ようです。
      
      
      練習風景(1977年頃)

      弓具の進歩
      17代が新人の頃は、まだワンピースボウも現役でしたが、次第にテイクダウンボウが
      主体となりました。男子はヤマハ、女子はホイットを選ぶ人が多かったように思います。
      今に通じるような弓具が初めて出てきた時代でもあり、ケブラー素材の弦、クッション
      プランジャー、ブレットポイント、カーボンリム、そして何よりVバー、Yバランサーと
      称されるスタビライザーが一般化しました。弓具にかかる費用もかさむばかりの
      日々でした。 

1980年(昭和55年)

  3月  春合宿(高知県大方-現在は黒潮町 うすき旅館)
      前年に引き続き、高知県大方のグランドで春合宿を行いました。何と言っても神戸から遠く
      飛行機2便に分かれて高知空港まで飛び、バスに乗り換え、ほぼ一日かけて移動しました。
      バス車内では18代Mさんが持っていたカセットテープで「ジェニーはご機嫌ななめ」とい
      う曲を再生するも、ジューシィ・フルーツのイリヤさんの裏声がうるさく、運転手さん・
      ガイドさんのご機嫌がななめになったのを覚えています。
      そして記憶に残っているのはグランドの水はけが非常に悪かったことです。
      みんな泥まみれになって練習しました。
      恒例の練習最終日の入野海岸での海水浴には、F女子主将も途中参加。
      ドロドロ+ビショビショ+ヒエヒエになり春合宿を終えました。
      
       
       
      
  4月 リーグ戦
      男女とも春合宿から調子が良く、試合の前日は一斉練習を休むというシステムの導入効果
      もあったのか、男子は3連勝のあと1敗はしたものの優勝の可能性を残し立命館大との
      最終戦に臨みました。しかし僅か2点差で敗れ、念願の入替戦進出はなりませんでした。
      全員が意気消沈し、恒例の蓬莱での打ち上げまでも中止しました。
      一方、女子は好調が続き、3勝1敗で順位決定戦に進み、見事優勝を飾りました。
      しかし一部との入替戦では帝塚山大に敗れ、惜しくも二部残留となりました。
      
  7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
      恒例のみそらの館で夏合宿を行いました。
      午前中の練習でジンジン腫れた指を小さい洗面桶の冷たい水に浸しながら昼寝したこと。
      みそらの館近くの小川で冷やしたスイカが飛び切り旨かったこと。当時の下宿生(死語?)
      の部員は皆いつも腹を空かせていて、夏合宿で腹いっぱい美味しいご飯が食べられるのが
      楽しみで、おかずが足りなくなって缶詰の残り汁まで奪い合いしてたこと(でも一番食べて
      いたのは自宅生で8的のN君だった)。合宿「なかび」の青木湖の二人乗り自転車や足こぎ
      ボートが楽しかったこと。19代の皆に、夏合宿の記憶を尋ねて出てきたエピソードです。
      残念ながら、この年の夏合宿に限った記憶はほとんど出てこなかったのですが、白馬の澄み
      きった青空と高原の気持ちよい風と冷たくておいしい水は、歴代の神戸大学洋弓部員全員
      に共通する楽しくて美しい思い出だと思います。

       
      

1981年(昭和56年)

  3月 春合宿(愛媛県大洲市青年の家)
      この年、春合宿を高知県黒潮町のうすき旅館から、愛媛県大洲市の青年の家(現在:国立大
      洲青少年交流の家)に変更しました。青年の家にはアーチェリーの練習設備がなかったので
      19代の工学部のY君を中心に数名の先発隊を派遣して、畳を乗せる三脚を30台ほど資材
      調達から組み立てまでやってもらいました。うまく準備できたから良かったのですが、今か
      ら思えば大胆な合宿地変更でした。
      ただ、青年の家という公的な色彩の強い場所で朝の一斉起床とか国旗掲揚などの団体行動
      が求められ、練習中は安全確保のためにグラウンドを他の宿泊者の立入禁止にしてもらっ
      たので、施設側からあまり歓迎されず大洲での春合宿はこの年限りになってしまいました。
      この合宿ではなかったと思いますが、当時、伊丹空港から四国に向かう飛行機はYS-11と
      いうプロペラ機で、部員70人分のボウケースと合宿の荷物が重くて飛行機が遅れたことも
      思い出です。

       
      
      
  4月 リーグ戦
      1980年は、日本がモスクワオリンピックをボイコットした年でした。ひそかにオリンピッ
      ク出場を夢見ていた女子のMさんは、ボイコットにショックを受けていました。男女とも
      1980年秋から非常に調子が良く、男子は練習でのスコアでしたが、初めて4900点台を出
      すなど、念願の一部昇格に向けて期待が高まりました。ところが、冷たい雨の中の初戦で僅
      差のビハインドをなかなか追いつけず、メンチェンもうまくいかずにまさかの敗戦。そこか
      ら流れを取り戻せないまま4連敗。最終戦の大経大戦でようやく実力発揮して勝って5位
      でした。悔しかったなあ。
      一方、女子はケーキ好きのにぎやかな部員ばかりで、当時、御影の本店しかなくてほとんど
      無名だったアンリ・シャルパンティエのケーキを奪い合って食べていました。(1学年下の
      I君がアルバイトをしており余ったケーキを部室に持ってきてくれていました。)そのせい
      か好調を維持してリーグ戦を戦い、その年2部優勝した甲南大学に敗れて一部昇格は逃し
      たものの、4勝1敗の2位という立派な成績でリーグ戦を終えることができました。
      
      (写真は5月のリーグ戦打ち上げ)
      
      
      20代が幹部の年が始まりましたが、新人部員のリクルートに失敗し、1回生が6名しかい
      ないという厳しいスタートとなりました。一方、巷では、ポートアイランド第1期が竣工
      し、3/20~9/15にポートピア’81(神戸ポートアイランド博覧会)が開催されました。ゴダ
      イゴが歌う「ポートピア」があちらこちらで流れ、地方博にしては大成功の1,600万人が来
      場しました。部員の中にもポートアイランド建設にかかわるアルバイトをしたり、松田聖子
      や田原俊彦が出演のNHKの音楽番組「レッツゴーヤング」がポートピア会場で収録された
      ときに警備員のアルバイトをしたり等、恩恵を受けました。
      
  7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
      夏合宿は恒例の白馬村「みそらの館」。写真は成蹊大学との交換合宿。例年、成蹊大学が近
      で合宿を行っており、日程もダブることからお互いの部員を男女2名づつ交換しそれぞ
      れの練習に参加する、という企画でしたが、練習後に男子は裸にされ体に落書きをされると
      いう今だと問題になりそうな行事で、交換合宿要員に選ばれた部員は名誉と恐怖が入り混
      じるという興味深いイベントでした。
      
      
     
      余談になりますが2021年9月の自民党総裁選の候補者、高市早苗氏が同年齢で、軽音楽部
      でヘヴィメタルバンドのドラムをやっており、レンジの建物の下での練習後、バイクにまた
      がる姿を見かけた部員もおりました。
  
  10月 20周年記念パーティー(ポートピアホテル)
      本年は洋弓部創立20周年にあたり、20周年パーティーを行うという役目がありました。ポ
      ートアイランドが竣工し、ポートピアホテルが開業したので、博覧会終了後にポートピアホ
      テルで20周年をやろうということになり10月31日に開催しました。
      

  • 20周年記念誌参照

  •             
           
          

    1982年(昭和57年)

      3月 春合宿(岡山県 玉野スポーツセンター)
          春合宿の場所選びには困った記憶があり、結局公営の施設に落ち着きましたが、規則が厳し
          く部員の評価はいまいちでした。
          
           
          
      4月 リーグ戦
          今年から部分けが変更になり、男女とも1部がAブロックとBブロックの2ブロック制に
          なったため、自動的に1部で戦えることとなりました。しかしながら男女とも1勝4敗で
          でかろうじて1部残留、特に女子の1勝は1点差という薄氷の勝利でした。
          
      7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
          場所はいつものみそらの館。1977年キャンベラ世界選手権アーチェリー男子個人銀メダリ
          スト亀井孝さん(ヤマハ)の来訪に沸いた夏合宿の、なか日前夜は恒例の発声練習。緊張感
          半端ない2回生をよそに、煙草の火がやたら目立つリラックスムードの幹部たち。いざと
          いう時の止め役が果たせるのか、いささか不安。一方、さすがに1回生には堪えたらしい。
          泣き出す女子や先輩不信に陥る男子(23代のM君情報)。許せ、これも愛情の裏返し。
          いずれにせよ、自己新ラッシュの成長の夏が終わる。
          
          
          

    1983年(昭和58年)

      3月 春合宿(広島県)
          夏と異なり、ここ数年は毎年場所が替わる春合宿。主務の末盛君が広島出身ということもあ
          ってか、初めて経験する広島での春合宿。1回生の時の愛媛、2回生の時の岡山同様、そこそ
          この温かさを期待したにも関わらず、雪に見舞われる始末。1回生の部屋が特に寒く、皆震
          えながら眠ったという(23代のM君情報)。リーグ戦に向け、前途多難を予感させる。
          とはいえ後輩である22代、23代の諸君の成長の著しさが、その不安を吹き飛ばしてくれた。
          春合宿といえば、次の次の主将、主務候補の選定が行われる。広島合宿で主将候補に指名
          されたのは、広島出身の大門君。主務候補に指名された小西君ともども、将来に向けて力
          強い希望の灯がともる。合宿最終日、厳しい寒さの中での主将の池中水ごりに、リーグ戦に
          向けてチームは一丸となる。
          
           
           
          
      4月 リーグ戦
          いよいよリーグ戦。最後の戦いとなる幹部は、それぞれの思いを秘めて的に向かう。男子21
          代主将にあっては、実力だけではとてもリーグ戦を戦えないと、勝利するまで髭を剃らない
          覚悟で臨む。近大戦は、我々も4700点越えを果たしたというのに、近大は5000オーバー、
          恐るべし近大・・・。結果的に、髭を剃ることができたのは、最終戦終了後とはなったもの
          の、男子は何とか1部残留を決め、幹部一同安堵の表情で記念写真に納まった。
          
          
          
      弓具の進歩
          ヤマハ、ホイットに加えて23代の新人時代からニシザワが搭乗し、数名が幹部に言い
          くるめられて使用することになりました。銀メダリストの山本博もかつて愛用してい
          た期待のメーカーでしたが、N君のリムは練習中に何度も折れるなどトラブル続出し、
          メーカーの人が謝りにくる始末でした。
          ヤマハの名機EXもこの頃登場。   
          
      7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
          連日雨に悩まされ、室内のコミュニケーションも増えました。
          なぜか中日だけ快晴でした。
          
          

    1984年(昭和59年)

      3月 春合宿(広島県佐伯国際アーチェリーランド)
          2名が牡蠣にあたり、2名がインフルエンザで寝込みましたが、無事復活し最終日には
          好成績を残しました。
          合宿中、高得点を出し続けた部員がご褒美に池に放り込まれます。男女関係なし。
          
           
           
          
      4月 リーグ戦
          <男子> 1部Aブロック2位(4勝1敗、AV 4663.4)
              × 神大 4643 - 4699 近大 〇
              〇 神大 4681 - 4493 甲南 ×
              〇 神大 4701 - 4446 桃大 ×
              〇 神大 4731 - 4472 大工大 ×
              〇 神大 4561 - 4288 阪南 ×
          男子は4連覇中の王者近畿大学に2射目まではリード、3名が600点越えするなど健闘しま
          したが、最後は実力の違いを見せつけられ惜敗。リーグ戦平均得点は全リーグ中、同志
          社に次ぐ2 位でした。
          リーグ戦の応援の際、掛け声のネタがなくなり、新聞の見出しを読むという新手法を導
          入しましたが、うるさいと審判から注意される一幕も。
          
          <女子> 2部 Aブロック 1位 (5勝0敗、AV 2742.8) 1部昇格
              〇 神大 2786 — 2587 阪大 ×
              〇 神大 2761 — 2627 親和 ×
              〇 神大 2702 — 2592 梅花 ×
              〇 神大 2609 — 2421 立命 ×
              〇 神大 2856 — 2469 京産 ×
             入替戦
              〇 神大 2786 — 2603 京女 ×
          女子は他を寄せ付けず 、完璧な内容で1部昇格。リーグ戦平均得点は全リーグ中、関西
          外大、京都府大に次ぐ3位でした。
          
          幹部は男子5名女子1名の少人数でしたが、後輩をよく纏め好成績を収めました。
          
         個人成績
          川口典子さん (現森脇、24代)大活躍の年でした。関西学生アーチェリー女子個人
          戦2位 626点(50m301点 大会新記録)など。     
          
          
          
      6月 西日本 選手権 (広島)
          リーグ戦での個人成績上位者が出場する試合に 、4名が出場しました。    
          
      7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
          この頃からカーボンリム がヤマハ、ニシザワから一般に販売され学生にも徐々に普及。
          貧乏学生には高い買い物でしたが 、弓具の進歩にも助けられ、スコアが上がってきまし
          た。帰りに駅の集合時間より電車の出発時間が早いというトラブル発生し、大騒ぎに。
          数人が残って、先発隊と後発隊に分かれて、途中で合流するはめに。
     
          成蹊大学と   
          
          女子全盛期
          
          

    1985年(昭和60年)

      3月 春合宿(広島県佐伯国際アーチェリーランド) 
          
      4月 リーグ戦
          <男子> 1部Bブロック2位(4勝1敗、AV 4648.8)
              × 神大 4734 - 4951 近大 〇
              〇 神大 4368 - 4244 桃大 ×
              〇 神大 4620 - 4522 立命 ×
              〇 神大 4804 - 4555 神学 ×
              〇 神大 4718 - 4431 阪南 ×
          男子は昨年に続き強敵近畿大学に破れ、優勝を逸しました。近畿大学6連覇。
          神戸学院大学に対して4804点をマーク。
          
          <女子> 1部 Bブロック 1位 (5勝0敗、AV 2890.4)
              〇 神大 2809 — 2543 帝大 ×
              〇 神大 2940 — 2630 大外大 ×
              〇 神大 2953 — 2654 関外大 ×
              〇 神大 2892 — 2617 立命 ×
              〇 神大 2846 — 2553 京産 ×
             優勝決定戦
              × 神大 2810 — 2849 同志社 〇
          女子は1部昇格1年目にして、創部以来初のブロック優勝達成。
          関西外国語大学に対して2953点をマークし、リーグ戦平均得点は全リーグ中1位の快
          挙でした。 優勝決定戦において 同志社 大学に惜敗。
          
         雑誌     
          いまでもあるのでしょうか?
          
          
      ジャンチェリー部
          昼間のスコアにめげず、夜の部では自己新続出!ウエスタンに広告を載せるまでに活状
          を呈しました。
          
      7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
          例年の白馬でしたが、行きに高速道路の事故で大渋滞。朝早くに神戸を出ましたが、吹
          田で昼食、夜遅くにみそら野に着き、出だしから躓きました。
     
          真っ黒ですね 
          
          懐かしの部室
          
     
          合宿中日に日本海(糸魚川)に行った1回生(26代)の写真です。
           

      8月 関西個人戦(於 服部緑地陸上競技場)での主に1回生の写真です。
         
     
         

    1986年(昭和61年)

      3月 春合宿(三重県ヤマハ合歓の森) 
          広島県の佐伯国際アーチェリーランドがあまりに寒いので、 比較的暖かい合歓の森に
          場所を変えました。 施設が良い分費用もそこそこで、日程を短くせざるを得ませんで
          した。 ビュッフェの食事は洒落ていましたが、朝昼晩と同じでちょっと飽きました。
          
      4月 リーグ戦
          <男子> 1部Aブロック3位(3勝2敗、AV 4678.8)
              × 神大 4711 - 4952 近大 〇
              × 神大 4633 - 4759 大工大 〇
              〇 神大 4761 - 4494 甲南 ×
              〇 神大 4772 - 4604 摂南 ×
              〇 神大 4517 - 4069 京大 ×
          男子は選手層の薄さが災いしたのか、大工大、近畿大に敗れましたが、リーグ戦平均得
          点は4678.8点と創部以来最高記録を達成。 全リーグ中3位
          
          <女子> 1部 Bブロック 1位 (5勝0敗、AV 2742.2)
              〇 神大 2761 — 2728 大外大 ×
              〇 神大 2708 — 2648 帝大 ×
              〇 神大 2747 — 2729 甲女 ×
              〇 神大 2774 — 2400 阪大 ×
              〇 神大 2721 — 2496 大府大 ×
             優勝決定戦
              × 神大 2587 — 2742 同志社 〇
          女子は苦戦の末、2年連続のブロック優勝の快挙。優勝決定戦においては同志社大学に
          敗れました。リーグ戦平均得点は全リーグ中2位。
          
      6月 西日本選手権(広島)
          成績はともかく、道中スピード違反で捕まりました。
     
          
          

      7月 夏合宿(長野県白馬村みそらの館)
         みそら野館の風呂は大きくなく上級生から順番に入浴だったので、1回生の時は終了時間
         までに入れない日があり、レンジより少し先の川まで身体を洗いに行った人もいたとのこ
         とです。
          
         合宿中日に、2回生(26代)男子で八方尾根に登った時の写真です。   
         行程のほとんどがゴンドラとリフトだったので、軽装登山でした。  
         
          
          

    1987年(昭和62年)

      3月 春合宿(佐伯国際アーチェリーランド)
         佐伯国際アーチェリーランドは食事が貧相だったので、缶詰とふりかけを持参した人も
         いました。
          
      4月 リーグ戦    
          <男子> 1部Bブロック4位(2勝3敗、AV 4638.4)   
             × 神大 4657 - 4808 阪大 〇 
             × 神大 4710 - 4871 大産大 〇    
             〇 神大 4762 - 4679 立命館 ×    
             × 神大 4556 - 4587 同志社 〇    
             〇 神大 4507 - 4503 摂南大 ×    
          
          <女子> 1部 Bブロック 4位 (2勝3敗、AV 2639.4)
             × 神大 2570 — 2715 大阪外大 〇   
             × 神大 2646 — 2688 帝塚山 〇     
             × 神大 2785 — 2624 関西外大 〇     
             〇 神大 2690 — 2300 甲南大 ×     
             〇 神大 2661 — 2469 大阪大 ×

      7月 19日~27日 夏合宿(みそらの館)    
          
         

    1988年(昭和63年)

      3月 春合宿(佐伯国際アーチェリーランド)
          
      4月 リーグ戦    
          <男子> 1部Bブロック5位(1勝4敗、AV 4543.8)1部残留   
             × 神大 4586 - 4616 桃大 〇 
             × 神大 4401 - 4682 関西大 〇    
             × 神大 4569 - 4597 立命館 〇   
             〇 神大 4610 - 4395 同志社 ×    
             × 神大 4533 - 4581 大阪大 〇
            順位決定戦
              同志社 4604 - 神大 4463 - 大阪大 4428
          
          <女子> 1部 Aブロック 3位 (2勝3敗、AV 2629.2)
             × 神大 2664 — 2848 同志社 〇   
             × 神大 2545 — 2632 関西大 〇     
             × 神大 2591 — 2739 親和 〇     
             〇 神大 2649 — 2647 京女 ×     
             〇 神大 2697 — 2663 甲南大 ×